日常


あれから四ヶ月が経ちました


ようやく避難所から仮設住宅に移った私にとっては、まだ何も始まっていない四ヶ月でした。


あの地震津波は、早く忘れたいような、忘れられないような、忘れてはいけないような、そんな気持ちが毎日のように交差しています


あの日、3月11日。


地震があったとき、私は会社に、そして両親もそれぞれが会社にいました。

それから約一時間くらいして津波がきたそうです。会社にいた父は津波で会社と自分の車が流されるのを逃げながら見ていて、自宅に戻っていた母は二階に逃げ波がひくまでの三日間そこで過ごしました。
その頃まだ会社にいた自分は電気も止まり何の情報もない状態で津波の存在など全く知らずにいました。何の被害も受けなかったこともあって、だいぶのんびりしていたと今では思い返します


まさかそれから四日ほど両親と会えず、約20年住んだ家にもう住めなくなるとは思いもせず、避難所暮らしで四ヶ月過ごし、仮設住宅に住むことになるとは、これっぽっちも思いもしなかったです。


沢山の人に助けてもらいました。たくさんの悲しい思いをしました。沢山の言い足りないありがとうがあります。沢山の悔しさが今でも拭うことができません。
もう一生両親と会えないかもしれない恐怖は、今でも思い出すだけで涙が溢れてきます。


この震災の中で、ふと思い出したのは、ある芸人さんが話していた言葉でした。
その人は阪神淡路大震災のとき、沢山の被害があったけど、その中に笑える話も実は沢山あるのだと話していました。ただそれは不謹慎ではある、けど笑える話なんだと。
今この状況になって思います。人は辛いとき悲しいときに、前に進もうと思うと、辛いことさえも笑いにするんだと。力強いなあと思いました。人と笑い合うことの力強いさ。その辺の線引きは私にも分かりません。ただこれはここにいる者の感覚としてそう感じます。


テレビや文字では感じることのできないものが、ここにはまだまだあります。
当たり前に、毎日ご飯を食べることができて、毎日部屋で着替えができて、毎日車で会社に向かって、毎日好きなものが飲めて、毎日お風呂に入れて、毎日布団で寝られる。そんな日常はこの四ヶ月にはありませんでした。


私は生きています。
中身はあまり変わっていないように思います。突然変わってしまった環境に、どう過ごしていけばいいかまだ分かりません。
それでも好きなものが変わっていない私は、やっぱりここに戻ってきたいなあとどこがで思っています。それは単純に、好きなものを見たりそれについてあれこれ考えていると楽しいからです。まだ完璧な日常には戻れないけれど、好きなものを見てパワーをもらって、前に進んでいけたらいいなと思っています。